沿革
会の歴史
米国カリフォルニア大学バークレイ校の Richard M. Fulrath 教授 (以下、フルラス教授)は、セラミック材料科学・工学の分野において大きな業績を残すと同時に、 偉大な教育者でもあった。 フルラス教授は、 1974 年の春に、サバティカルで日本に来られたのをきっかけに、その後、何回も日本に来られ、都度、多くの大学や企業の研究所で講演を行った。 エレクトロニク・セラミクスのプロセシングの基礎などに関する教授の講演は、当時 日本でも非常に活発に行われていたこの分野の研究者達と深い絆を築いた。 残念なことに、1977 年 7 月 16 日に、先生は、肺ガンのために 52 才の若さで亡くなられた。 肺ガンの手術を受けられてから、先生の活動はさらに精力的となり、亡くなる直前まで、ベ ッドで学生達の相談にのっていたそうである。
フルラス教授の死後、先生の偉大な業績を忍んで、バークレイ校の材料科学鉱物学科の J. A. Pask 教授を中心とする発起人が、 バークレイ校での Richard M. Fulrath 奨学金と、Richard M. Fulrath 賞の構想を提案された。 これを受けて、1977 年 11 月 11 日に、東京のマツヤサロンで、フルラス教授を偲ぶ会が開催 され、40 人を超える人たちが集まった。 これをきっかけに、日本側の 113 人が発起人となってフルラス記念会が発足した。 当時、防衛大学校教授 の岡崎清教授は、フルラス教授の 1974 年のサバティカル受け入れ当時から非常に親しくしていたため、会の発足に当たっては中心的に活動され、 フルラス記念会初代会長に就任された。
賞の基金を集めるために、岡崎清先生、当時 TDK 相談役であった山崎貞一氏らが、フルラス基金を集めるための委員会を作り募金を始めた。 1978年 7 月 までに、法人、個人より、758 万円が集まり、この基金を全額カリフォルニア大学に譲出し、Pask 教授に運営を一任した。 結果、バークレイ校の材料科学鉱物学科により基金が管理されることとなり、材料科学鉱物学科から 3 名、米国セラミックス学会から 2 名の委員が選出され、Richard M. Fulrath 賞委員会が正式に発足した。 20 年後に、基金の管理を含め、この賞は米国セラミックス学会の賞の一つとなり、米国セラミックス学会、日本セラミックス協会、フルラス・岡崎記念会の代表者からなるフルラス賞選考委員会が受賞者を選定し、米国セラミック学会の秋の年会で受賞式およびシンポジウムを行うことになり、現在に至っている。この賞は、日米の 45 才以下の若手の研究者で、優れた業績を上げた人たちに贈 られ、1978 年の第 1 回授与式から毎年行われ、受賞者は、日米合わせて150 人を超えており、現在 もセラミック材料科学・工学分野で活躍している。 毎年の受賞者は当初、米国側は、学術分野から 1 名、日本側は、学術分野から 1 名、産業分野か ら 2 名の計 3 名であったが、1998 年から、米国側学術分野からの 1 名 に加えて、産業分野から 1 名の計 2 名になった。
フルラス賞設立に大きな貢献をされた岡崎清教授は、1997 年 3 月 11 日に食道ガンで亡くなられた。享年 71 才であった。岡崎先生は、京都大学の阿部清教授 の研究室でチタン酸バリウムと出会ってから 50 年あまり、人生を強誘電体セラミックスの研究に捧げられ、研究論文、著書など数々のすばらしい足跡を残された。その功績をたたえ、2004 年に、フルラス記念会をフルラス・ 岡崎記念会と改め、同時に、岡崎清賞、岡崎清功労賞を設置した。岡崎清賞は、優れたセラミックス分野の研究・技術分野で優れた業績を残した方々に贈られる。 フルラス賞が研究業績重点であるのに対し、岡崎清賞は、セラミックス産業の発展に貢献した技術成果をもその対象としており、個人だけではなく、グループの業績であれば、グループを表彰する。岡崎清功労賞は、学術的な業績もさることながら、セラミックス産業の発展に大きな寄与をされた方々に贈られている。
Fulrath先生 略歴
Richard M. Fulrath 先生(1924 ~ 1977)
1924 年 | イリノイ州プリンストンに生まれる 高校卒業後すぐに兵役に入る 第2次大戦中の3年間を陸軍航空隊で、航空技師としてヨーロッパで従軍 |
1946 年 | イリノイ大学入学 |
1951 年 | 同大学でセラミック工学修士取得 Marilyn と結婚 オークリッジ国立研究所でリアクターの研究に従事 |
1954 年 | カリフォルニア大学バークレー校の教員となる 若くして同大学セラミック工学の正教授となる |
1969 年 | 同大学ローレンス・バークレー研究所の主任研究員兼任 |
1974 年 | サバティカルで日本訪問。防衛大学校をベースに日本各地で講演 |
1977 年 | 肺ガンにより永眠(享年 52 才) |
Fulrath 先生は、セラミクスの、機械的、物理的、電気的な特性に関する研究を主体にしていたが、特性の良いエレクトロニク・セラミクスを得るためのプロセシングの基礎に関する研究をはじめとして数々の研究業績を上げられている。先生は、偉大な研究者であったと同時に、たいへん優れた教育者でもあった。 また、米国セラミックス学会の副会長を務められたり、同学会の北カリフォルニア支部の支部長や、核部会の部会長なども歴任された。
岡崎清先生 略歴
岡崎 清 先生(1924 ~ 1997)
1925年 10月 | 東京府豊多摩郡大久保村に生まれる |
1943年 12月 | 陸軍予科士官学校卒業 |
1945年 08月 | 陸軍少尉、わずか15日で終戦。公職追放となる |
1946年 05月 | 京都大学工学部電気工学科入学る |
1949年 03月 | 京都大学工学部電気工学科卒業 |
1949年 04月 | チタン酸バリウムの実用化を目指し村田製作所に入社 |
1949年 10月 | 京都にて今村道子と結婚 |
1955年 01月 | 防衛大学校に電気工学教室助手として着任 |
1959年 06月 | 京都大学より工学博士号取得 |
1957年 10月 | 防衛大学校助教授就任 |
1963年 01月 | 防衛大学校理工学研究科電子材料系列担当教授に就任 |
1984年 04月 | 防衛大学校副校長に就任 |
1988年 03月 | 防衛大学校退官 |
1988年 04月 | 相模工業大学(現 湘南工科大学)教授 |
1989年 04月 | セラミックスを中心とした「材料工学科」学科長、教授 |
1995年 03月 | 湘南工科大学教授、学科長を辞す |
1995年 04月 | 岡崎国際セラミック研究所 所長 |
1997年 03月 | 食道ガンにより永眠(享年71歳) |
岡崎先生は、チタン酸バリウム実用化研究会編集幹事を初め、第 1 回から 6 回までの強誘電体会議の運営委員、第 1 回、2 回誘電体・圧電体セラミックス日米セミナ組織委員長、第 3 回日ソ強誘電体シンポジウム副委員長、フルラス記念会会長など、さまざまな会を主催され、この分野の発展に大きく寄与された。 また、代表的な著書である「セラミック誘電体工学」をはじめ、「電気材料工学演習」など、セラミック電子材料に関する多くの本を出版された。
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